日大文理学部 オープンキャンパス

てっちんです
今日は、日大文理学部のオープンキャパスへ
永井先生の講義を受けるために、行ってきました。
メンバーは、以下の4人です。
かざあな
醤油を作ってる友人
ゆりか
てっちん
授業は、教室が普通に埋まっていて、
思ったよりも人気があるようでした。
講義のタイトルはズバリ
「ゾンビな人とビンゾな人の話」です叫び
講義中に取ったメモはこんな感じ・・・
・懐疑論の話からスタート
・根拠の無いものを疑う、5分前世界創造説、外界(目に見えている物体の実態)への疑い
・ゾンビの定義→外見上人間とそっくりだけど中身(心?意識?)が無い
・ロボットもよく似た話があるが、ゾンビはもっとすごい。(体の組成まで一緒)
・ゾンビは可能でしょうか?
・可能・不可能の使い方は、今回は論理的に可能かどうか?
・窓から飛び降りて地面へ落ちないことも論理的には可能
・他人がゾンビだとしても、何もおかしくない
・ビンゾは永井先生が考えた言葉→ゾンビと逆、中身はあるけど外面が無い
 触れないし、本人がしゃべることもできない。
・ビンゾな人はそこらじゅうにいるかもしれない。ビンゾな人がいるって意味わかんないですね。
・自分がゾンビだろうか?という問題は少しおもしろい
・私がゾンビでないことは分かる。ただし、ゾンビで無いと言ってる他人には
 「お前はゾンビでない振りをしたゾンビだろ」と言っていい
・デカルトは全てのものを疑ったが今考えている私だけは「ある」と言えると言った
・その時のデカルトがあると言ったものがデカルトのビンゾ
・デカルトは他人が「私のビンゾがあります」と言ったらどういうでしょうね?→疑うでしょうね。
・デカルトが「私のビンゾだけはあります」と言ったことに対し、他人は賛成できない。
 デカルトは「私のビンゾ以外のものはあるかどうか分かりません」と言っている。
 デカルトから見た他人も当然デカルトは疑っている。
 そこで、われわれは他人であるデカルトの「私のビンゾだけはある」という言葉に、
 賛成することはできない→という論理構造になっている。
・私が私であるということはとても不思議な話。
・ゾンビとビンゾの話にはそのことがどうしても内側に食い込んでしまう
とまあ、こんな感じでした。
ボキャブラリーが貧しくて申し訳ありませんが、とてもおもしろかったです。
永井先生は、とても楽しそうにしゃべっいて、こういうこと考えるのが本当に好きなんだなと感じました。
講義後は、熱心な受験生の相談に乗ってあげていましたが、
われわれはその話が終わった瞬間
「講義がおもしろかったです、永井先生のファンです、サイン下さい!」
と突撃し、無事サインをゲットしました。
最後に、「君身分は?老けてるね~」と突っ込まれてしまいましたが、
とても楽しかったです。
また、永井先生に会える機会があれば、是非行きたいですね目
P.S.
その後、社会学科の模擬授業も受けてみました。
そこで、写真で切り取る社会学として紹介されていたHPのアドレスは↓です。
http://www.chs.nihon-u.ac.jp/soc_dpt/ngotoh/tokyo/
靖国神社の見世物小屋はちょっと行ってみたいと思いましたにひひ
 

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